2018年2月13日
はじめましてなちゅらるばらんすです。
ブログ訪問ありがとうございます。
「今日も、これから夕ご飯の用意しないといけないな」ということを思っていること多くありませんか?
何気なく、ふと使っていることばです。
仕事も、子育ても、家事もやっていると、大変です。
私は、すごいなあと思います。
でも、少し見方を変えると、家族がいるから、子どもがいるから、食事を作り甲斐もあるのだと思います。
先日、相談後、「これから帰って夕ご飯の用意をせなあかん」とおっしゃったので、家族がいるからできることですよと言うと、「そうかおいしいものを食べれるのも家族がいるからか」と帰っていかれました。
そういえば、先月来られたときに、自分のいとことその母が住む家に安否確認のために行ったら、元気にしていたけれどもごみ屋敷になっていたという話をされていました。
何であんなんにまってしまうのかわからないと言ってました。
自分の同世代の70代と90代の女性2人暮らしだと言ってました。
早くに旦那さんを亡くされ、子どもさんも東京にいるそうです。
自分は、旦那さんは元気ですし、息子と同居している、近くに住んでいる娘さん家族もよくやってくる、それがどれだけ恵まれているかということを知ったばかりだったので、「家族のおかげでおいしいものが食べられるんやな」ということばがすぐにでてきたのかもしれません。
その日も来るなり、「私は不幸の星のもとに生まれたと思わないか、なんで私ばかりこんな目にあうのか?」と言ってました。
人間は、すぐにないものばかり見てしまいます。
ないものばかり見ていると、人が妬ましく思えてきます。
人は、うまくいっているように見せていますが、意外とみんな大変なのです。
話しているうちに、あるものがわかり、自分は幸せだということに気付きます。
同じご飯を作ったとしても、その心の違いは味にでます。
人は、ないものばかり見てしまいます。
人が持っているものばかり見ていると、どんどん不幸になっていきます。
しかし、自分の持っているもの、あるを知れば幸福になります。
ちょっと立ち止まって、見方を変えてみましょう。
きっとたくさん持っていると思います。