2018年3月13日
教員3年目、公立中学校 2校で非常勤講師をしていました。
あいた時間に県立女性センターの図書室で教育に関するいろんな本を読みました。
同じ中学校に勤務する先生が本を貸してくださったり、いろんな本を読みました。
そんななかに、教師は生徒の進路指導をするけれど、学生時代を学校で過ごし、卒業しても職場が学校なので、学校しか知らない。
学校の外を知らないのに、進路指導をしているということが書いてありました。
学生時代のアルバイトは、郵便局や県立の公園、家庭教師、塾講師と教育関係や民間以外のところばかりでした。
時間もあるし、学校で働きながら民間の会社でアルバイトをしてみようと思いました。
求人広告で探し、夕方から3時間程度のオペレーターの仕事に応募しました。
即採用していただいて、総合金物商社で働きました。
その日の売上伝票をオフコンに入力する仕事でした。
ずっとパソコンに向かう仕事で、3時間座って仕事をすることの苦痛がありました。
公務員って、楽だなあというのが感想です。
民間の会社を経験して、学校の教員を見ると、感覚の違いを痛感しました。
半年ぐらいの仕事の予定でしたが、オフコンのシステムを開発している会社の作業がうまくいかず、半年後に導入されるはずが、3年ぐらいかかったおかげで、翌年度も働くことができました。
だんだん仕事を増やしてもらい、経理の仕事も手伝うようになりました。
病弱教育巡回訪問指導員の仕事は、不安定だったので、仕事のないときは来てと言ってくださったので、会社にいる時間も長く、いろいろと学ぶことができました。
専務について仕事をしていたので、経理の仕事だけでなく、経済のことなども教えてもらいました。
社長からは、よく数学教育について言われたことがあります。
営業の方がたくさんおられたのですが、大卒でも、原価の3割のせて・・・と指示しても、計算できん奴ばっかり、どうなってるんやと言われました。
設計もされている営業の方は、計算の仕方を聞かれたり、実際に数学が使われている思ったものです。
最初は、事務員の方たちが帰った後、営業さんたちがいる部屋で仕事をしていました。
事務員さんが、2つの部署にわかれていたのですが、途中で1つの部屋に集まりました。
昼間も勤務するようになり、女性同士のいろんなものが見えてきて、専務もよくみんなが帰った後、私に難しいなと言っていました。
次のバイトは、配送と工事の会社で、ここも最初は夜だけの勤務でしたが、昼間も勤務させてもらうようになりました。
大手家電量販店の下請けの会社でした。
ブラック企業を経験しました。
事務員だったので、ブラックではありませんでしたが。
夕方になると、翌日の配送と工事の予定がファックスされてくるので、配車された予定をお客さんに電話連絡する仕事をしていました。
そこで初めて翌日の人員を配置されるので、ほとんどがアルバイトです。
社員さんを配車した後、アルバイトを配置します。
夕方の18時以降でないと、翌日の勤務がわからないのです。
本当に不安定な仕事です。
エアコンの設置が、夏と冬と春の引っ越しシーズンに集中するので、その時期は、毎日仕事はあるけれど、長時間拘束されます。
その時期は、町の電気屋さんや会社勤めしながら休みの日にバイトする方もいました。
工事内容によって、工事の単価が違いますから、工事単価の高いものは社員に、安いものはバイトや季節業者の方にと、ブラックな会社でした。
若いアルバイトの人や業者の方たちと話すうち、自分の知らない世界を知ることができました。
社長が同年代の人でもあったので、仕事が終わったあと、みんなを連れて食事に行ったりもしていたので、中卒や高校中退して、アルバイトをかけもちしながらとか、アルバイトから社員になった人たちと一緒に食事に行ったりしたので、いい経験をしたなあと思います。
この会社は、Excelを使って伝票入力していたので、働きながらExcelの使い方を覚えました。
学校は、まだ、一太郎とロータスを使っていたので、ExcelとWordをここで使えるようになりました。
お金を使って学ぶというよりは、お金をもらって学ぶということをしてきました。
最初の会社では、経理を学び、Excelも少し使っていましたし、家を建てる時の金こんなに違うんだなあと思ったものです。
システムキッチンの金額は、工賃とあわせて請求するから、びっくりするぐらい仕入れ値+工賃と請求する金額の違いでした。
あの頃は、実際には関わっていない会社が間に入って、値段が上乗せされていたりしていました。
それから、商社とかなくなってきていますが、経済のしくみを知りました。
家をリフォームするとき、生かされたような気がします。
とくに何かこちらから要求したわけではなかったのですが、信じられないぐらい安い金額で工事をしてくださいました。
思いは伝わります。
その後のアルバイトは、スポーツ関連のところが多かったです。
スポーツジム通いをしていたこともありますが、これも、お給料をいただきながら、体を鍛えたり、教室に入ったりできました。
大学時代のバイトでは、運動音痴の私にいろんなスポーツを教えてくださり、スポーツ好きにしてくれました。
こんな感じで、教員とアルバイトのダブルワーク、トリプルワーク・・・の生活がスタートしました。