2018年4月2日
”一を聞いて十を知れ”
なちゅらるばらんすを始めたころ、パートナーからよく言われたものです。
今日、久しぶりに以前の同僚の先生とランチをしました。
対称的なお二人の先生です。
1人の先生は「一を聞いて十を知る」タイプです。
そして、もう一人の先生に話していることでも、そこから学ぶタイプです。
もう1人の先生は「十を聞いて一を知ることもない」そんな感じです。
言葉では、聞いているように見せていますが、何にもわかってないなあと感じます。
かといって無理矢理わかってもらおうとも思わないので、人それぞれだなあと思います。
十を聞いてもわからない人は、自分で考えることができない人です。
何も考えず、相手の言う通りにしようとする人です。
でも、暗記したって何の役にも立ちません。
そういう人が、子どもに教えると、結局、暗記させようとか、強制教育になってしまいます。
今となっては、”一を聞いて十を知れ”と言われた意味がよくわかります。
何でも人の言うことをそのまま聞いていてもダメなんです。
自分のことばで表現していかないと、わかっているとは言えないのです。
感覚のいい人、自分を殺して生きていない人は、”一を聞いて十を知る”ことできますし、自分を生きている人だと思います。
求められれば十を話しますが、教員のほとんどは”十を聞いても一を知ることもできない”というのが現状かもしれません。
強制教育の限界にきています。
強制されることなく、のびのびと育ってきた子の方が、”一を聞いて十を知る”タイプです。
今の子どもは、ゆとり教育で悪くなっているとは言いますが、感覚のいい子も多いです。
その感覚のいい子に教師はどうすることもできずに苦戦しているところもあります。
子どもの方が大人だなあ、物事がよく見えていると思うことが多いです。
ことばだけで、うまく大人をあやつっていると思うことも多いです。
ランチをしながら、そんなことを思いました。
人の心を知るには、まず自分の心を知ることです。
自分をごまかしながら生きていると、ごまかしの世界で生きていかなければいけません。