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2018年10月8日

私の幼なじみ

 

 

 

 はじめましてなちゅらるばらんすです。

 

 ブログ訪問ありがとうございます。

 

 

 私の住んでいたところは、小さな集落だったので、同級生が1人だけでした。

 

 たまたまですが、同じ誕生日で、同じ苗字の女の子でした。

 

 

 パートナーと話していたとき、地元の話になりました。

 

 同級生が1人しかいない、同じ苗字の・・・というと、

 

そんな子いたっけ?と言われました。

 

 同じ苗字は、学年で女子4人と言うと、

 

「思い出せない」と言われ、卒業アルバムを見ました。

 

 みんないじわるな顔をしているなあという反応。

 

 で、幼なじみを見ると、名前は知らんけどいじわるそうな顔をした子か!

 

 と言われました。

 

 そうかな?と言うと、

 

 いじわるされてても気付かんかっただけじゃないの?と言われました。

 

 

 そう言われてみると、確かにいじわるされたこともあったなあと思い出しました。

 

 高校まで一緒だったのですが、高校1年のときも同じクラスでした。

 

 友達をとられたこともあったなあと思い出しました。

 

 高校2年生は、2クラスだけ別棟で学年の子と会うこともなくなって、関わることがありませんでした。

 

 3年になって、私は理系にすすんだので、話すこともなくなりました。

 

 よく考えると、離れてから、私は変わりました。

 

 何もかも変わりました。

 

 

 子どもの頃を振り返ると、パートナーの言ってることもわかるような気がしてきました。

 

 私の家は、祖父母と両親と妹と弟の7人家族でした。

 

 毒親に近い、過保護に育てられてきました。

 

 両親も共働きで、若い親でした。

 

 それに比べて、彼女は、母子家庭で、叔父さんと3人暮らし。

 

 農家だけで生計をたてていたし、車もありませんでした。

 

 今だからわかるけれど、何気なく話していることが、傷つけていたかもしれないし、妬みも受けていたのかもしれないなあと思いました。

 

 よく彼女が言っていたのは「うちは、江戸時代の庄屋。みんなうちの小作で、うちのおかげなんだ、感謝して」と言ってました。

 

 片道3㎞の徒歩通学だったんですが、彼女は、ほとんど毎日遅刻でした。

 

 3㎞を、毎日走って登校していました。

 

 毎日遅刻していたということは、いろいろとあったのかもしれませんね。

 

 

 自分では当たり前のことでも、人にとっては当たり前でないこと気付いたとき、自分がいかに幸せか気付きます。

 

 支援員をして、自分がどんなに幸せかということに気付きました。

 

 そして、自分の心ない一言で人を傷つけてきたかもしれないということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが。

 

 私とパートナーは、幼稚園から中学校までの同級生です。

 

 とはいっても、11年間で話したことがあるのだろうか?という同級生です。

 

 同じクラスになったのは、小学校5,6年生のときだけ。

 

 中学校の部活動もバレー部で同じでしたが、接点はなし。

 

 中学校を卒業して、20年後、駅でばったりあって、「なんか見たことある!どこで一緒だった?」って感じでした。

 

 

 私と同じ苗字は、4人いました。

 

 そんななかで、ダントツで目立たないと思っていました。

 

 誰にも気付かれてないぐらいの自信があったのですが、卒業後、同級生の男子からよく声をかけてもらいました。

 

 「覚えてない?同級生の〇〇」と言われ、気付くという感じです。

 

 パートナーと一緒に仕事をはじめてすぐ、初めての同窓会がありました。

 

 誰?って言われないかなあと思いながら参加しました。

 

 予想に反して、男性に囲まれ、子どもの教育についての相談を受けたりしました。

 

 奥さんとの教育方針の違いの悩みを受けたり。

 

 そのときも、他の子と間違えてないか聞いてみたけど、他に松村っていたっけ?と言われました。

 

 名前で呼んでくれてたから、苗字のイメージはなかったのかもしれませんが。

 

 パートナーと反応が同じだったので、びっくりしたのを覚えています。

 

 

 パートナーの話では、他の女性を見ると、肉食系女子と毒吐きまくってる女子ばかりで、男性としては近づけない女性ばかりだったようです。