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2019年5月18日

人生の分岐点ー18歳の春

 

 

 はじめましてなちゅらるばらんすです。

 

 ブログ訪問ありがとうございます。

 

 

 

 私は、親や祖父母に かなり過保護に育てられました。

 

 自分で考えることもなく、言われるままでした。

 

 家が嫌いでした。

 

 1日も早く、家を出たいというのが、私の願いでした。

 

 高校を卒業と同時に、家を出られるチャンスがありました。

 

 結婚すれば、大学の学費も出してくれると言われ、家も出られるし、わがままも聞いてもらえる。

 

 悩んだ結果、断りました。

 

 今から思うと、大学に通うのも近かったし、学業も楽にこなせたのではないか、と思います。

 

 でも、保護してくれる人がかわっただけで、だれかにまもられるだけの人生だったんじゃないかと思います。

 

 自分の成長はなかったかもしれないと思います。

 

 苦学生だったので、通学とバイトと学業と、1日24時間じゃ足りない日々でした。

 

 勉強している時間がなくて、けっこう悲惨な成績でした。

 

 中学校で講師をしているとき、同じ年の同僚の先生に「なんで学生時代にバイトなんかしているの?勉強すればよかったのに」と言われたことがあります。

 

 たしかに、バイトもせず、1日6時間の通学時間がなければ、もっと勉強時間がとれたのかもしれません。

 

 でも、成績も悪いからこそ、いい友人たちに出会えたと思っています。

 

 バイトを通して、いろんな人とも出会えて、成長できたと思っています。

 

 無難な人生を選ばず、難の多い人生を選択したけれど、よかったなあと思います。

 

 もし結婚していたら、テストやレポートも助けてもらえたから、友人も無難にかえることもなかっただろうな、と思います。

 

 採用試験も合格して、無難に教員をしていたかもしれないなあと思います。

 

 

 結婚という選択をしなかったのは、母の影響が大きかったかもしれません。

 

 両親は、20歳で結婚、出産をしています。

 

 母を見ていると、父がいないと何もできないという感じでした。

 

 私は、大学が遠かったこともあり、1人でお店に入って食事をすることも増えました。

 

 母や妹は、1人で外食ができませんでした。

 

 1人で食事できるって・・・とよく言われます。

 

 1人で旅行もできます。

 

 母を見ていて、夫に依存する人生は嫌だなと思っていました。

 

 父の意見にあわせるだけの人生。

 

 不満があっても何も言わずに、愚痴だけ言っているのが嫌で仕方ありませんでした。

 

 そんな母がいたからこそ、今の私があるのかなと思います。

 

 やっぱり無難な人生より、今のようなワクワクする人生でよかったなあと思っています。

 

 

 

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