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2020年3月19日

不満をぼやくだけの人生でいいのか?

 

 

不満を言うのは何のため?

 

 ただ不満を延々と言い続ける人がいます。

 

 言って何かを変えるわけでもなく、文句を言うだけです。

 

 それで何かが変わるのでしょうか?

 

 

 実は、私の父はこのタイプです。

 

 でも父に限らず、どこの職場にもけっこういます。

 

 そういう人たちを見て、嫌だと思っていました。

 

 父の姿を反面教師にしてきたのかもしれません。

 

 妹は、父に似ました。

 

 夕飯のとき、2人の会社に対する不満、愚痴の言い合いでした。

 

 この会話が嫌だったので、あまり一緒に食事をとることもありませんでした。

 

 

 不満を口にするのはどうしてでしょうか?

 

 不平不満をため込むのはもっとよくないことです。

 

 不平不満は吐き出していいと思います。

 

 

 今ある不満足を満足に変えるためにあるのだと思います。

 

 ダメだと思っても、抗議することはできます。

 

 よりよくするために、行動してみることです。

 

 正規採用で働いてこなかったので、条件の悪いなかでの雇用は多かったです。

 

 でも、こういうものだから仕方ないと思い込んでいるのは自分自身です。

 

 言ってみるもんだな、と思うことばかりでした。

 

 きいてみただけだけど、自分の都合のいいように動いてくれる人ばかりでした。

 

 

 守られていない環境だったからできたことなのかもしれません。

 

 でも、文句ばかり言うということは、依存しているのだと思います。

 

 誰かの言われるまま、会社の言われるままなんです。

 

 会社に守られて、与えられた仕事をやっているだけです。

 

 

 文句や抗議するだけでは人は動かないかもしれません。

 

 ちゃんと仕事をしているから聞いてもらえることも多いのではないでしょうか?

 

 私が、公立学校に勤めて嫌だと感じたのは、向上心もなく、文句だけ言ってる人が多くて合わなかったです。

 

 滋賀県がそうだったのかもしれませんが。

 

 教育実習で見た岐阜県の学校と、あまりにも違ったので驚きました。

 

 

 

満足を追求すると 

 

 不満足があれば、満足に変えていくだけです。

 

 満足を得るとどうなるでしょうか?

 

 次にまた、別の不満足がでてくるのです。

 

 そして、また満足に変えていく。

 

 これが成長していくということなのではないでしょうか?

 

 

 人生はこの繰り返しです。

 

 私は、その職場で学ぶべきことを学んで、これ以上ここでやることはないなあと思うと、次の職場へと変わっていきました。

 

 多くの人と出会って、いろんなことを学びました。

 

 最初は、教員は学校しか知らない、それで子どもに進路指導をしていいのか?と思ったことがきっかけです。

 

 最後の5年は、高等学校の臨時講師で終わりました。

 

 今は、自分の思うような学校がつくりたいと思っています。

 

 今の学校制度では、理想となるものはつくれないかもしれません。

 

 今の世の中のしくみがこわれるときが、そう遠くない未来にやってくると思います。

 

 明治維新を迎えたように、新しい時代がやってきます。

 

 時代の変わり目というのは、必ずあります。

 

 日本でいうと、狩猟から稲作に変わったとき、貴族から武士の時代へ、そして明治維新。

 

 国や会社に依存しているだけの人生では、時代の変わり目で大きく人生が変わってしまいます。

 

 平成から令和に変わりました。

 

 私は、2020年になって、ワクワク感があります。

 

 今年は、大きく変わりそうな気がして新年を迎えました。

 

 自分にとって不都合になるか?都合のいいものになるか?

 

 自分の不満足を満足に変えることで、人生は大きく変わっていきます。

 

 自分の気持ちが1ミリ変わると、実際に起こってくることは無限に変わっていきます。

 

 

 大いに不満は吐き出してください。

 

 そしてどうしたいのか?を思い描いてみてください。

 

 

 私も日々その繰り返しです。

 

 

 

たられば

 

 もしあのとき、〇〇だったら?と思うことも多いです。

 

 〇〇すればよかったって思うけど、戻ることはできません。

 

 でも、その経験を生かすことはできます。

 

 失敗があるから人は成長できます。

 

 子どもの頃に失敗経験のない人はかわいそうだなあと思います。

 

 優等生だった先生は多いです。

 

 でも、失敗した経験がなく、自分を変えることができない先生が多いのです。

 

 こわくて新しい挑戦ができません。

 

 子どもの頃からの失敗経験は大事だなあと思います。

 

 私も、家族が超過保護で、毒親気味でした。

 

 だから、高校生の頃ぐらいから少しずつ檻の中から出ていくようになりました。

 

 そして、いろんな人と出会い、いろんな失敗もしながらやってきました。

 

 親の思い描くレールからは大きくはずれてしまいましたが、挑戦し続ける人生でよかったなあと思います。

 

 

 もしあのまま、高校卒業と同時に結婚していたら、親の喜ぶ人生だったかもしれません。

 

 大学生活ももっと楽だったと思います。

 

 旦那さんに学費も出してもらえ、アルバイトもしなくてもよくって、勉強も見てもらえて楽に単位もとれたかもしれません。

 

 教員採用試験の勉強もできて、教員になっていたかもしれないなあと思います。

 

 でも、ずっと守られて何もできない人になっていたのではないかなあと思います。

 

 人並みの幸せが得られて満足していたかもしれません。

 

 安定よりもワクワク感がいいので、今の人生でよかったなあと思います。

 

 いろいろ考えることはよくあります。

 

 自分の心を振り子のように振っています。

 

 大きく振っても、最後にはあるところで止まります。

 

 別の道がいいと思ったら、そっちに方向を変えればいいだけです。

 

 よく前向きに生きると言いますが、1°でも違う方を向いていると、ぜんぜん違う方に行ってしまいます。

 

 前を向いてると思ってたのに逆方向かもしれません。

 

 前向きにも後ろ向きにも心を振ってみて、どうしたいのか?を見ています。

 

 私の場合は、ワクワクする方を選択してきたと思います。

 

 

 愚痴やマイナスなことも吐き出せばいいのです。

 

 頭の中から追い出してしまえば、スッキリしますから。

 

 愚痴を言うことが目的になっていなければいいのです。