2022年8月12日
ハンガリー出身の数学者・大道芸人・タレントとしても有名なピーターフランクルさんの講演を聞いたときに話されていたことです。
「日本人は考えることが苦手」
これは、私が数学を教えていても思っていたことです。
どうしてでしょうか?
そして、「発達障がい」とか「勉強ができない」というレッテルを貼られている子は、実は考えることができる子だということがわかりました。
日本の教育のシステムがそうなっているのです。
わざとそういうシステムになっているのだと思いますが・・・!?
日本での賢い人は暗記の得意な人です。
数学の教師をしていて、思っていたことは「数学って暗記教科だったの?」
まわりの数学教師は、暗記させていました。
考えて導いていくものではないの?
私は、数学は道筋を考えながら解を導いていくものだと考えています。
私が、数学が苦手なときと得意な時があったことがありました。
先生によって、いいときと悪いときがありました。
中学生から大学まで、先生によってこんなに違う?ってぐらいに。
大学では、「不可」と「優」。
当然、「不可」だと再履修になってしまいます。
ラッキーだったのは、幾何学の中から10単位が必修みたいな感じだったので、「幾何学Ⅰ」を落としたけれど、「幾何学Ⅲ」の先生の教え方はわかりやすいから「幾何学Ⅲ」をとってみようと無謀なことをしてました。
でも、「「幾何学1」は「不可」だったのに、「幾何学Ⅲ」では「優」だったし、先生には優秀だって言ってもらえた!
そんな感じで、たまたま、どの科目もそれがはまってうまくいきました。
何が違うのだろうと思ったときに、教え方だと気付きました。
「導き方」「考え方」をちゃんと教えてくれた先生と「暗記」させていた先生の違いだなと。
「導き方」や「考え方」を教えてくれた先生の解き方だと、最小限の知識で自分で導いていけます。
でも、「暗記」だと暗記力がいい人はいいけれど、終わったら忘れてしまいます。
「数学」は、学年があがるにつれ、過去にやったことを使って新しいことを学んでいきます。
「考え方」や「導き方」がわかっていれば、次にも使えます。
でも、「暗記教育」にはそれができません。
「発達障がい」とか「勉強ができない」というレッテルを貼られている子は、考えて答えを導き出すことができる子たちだったのです。
水を得た魚のようにどんどん成績があがっていきました。
こういう子たちの方が、生きていく上でいいと思います。
エジソンと同じですね。
「何でそうなるの?」と先生に聞いても、覚えたらいいのとしか言われなかったそうで、つまづいてしまったと言います。
数学に限らず、すべての教科が暗記教育です。
国語も感じ取り方は人それぞれでもいいはずなのに、答えが1つに決まっています。
最近は、高校入試でも考える力を問う問題も増えて、記述問題も増えてきています。
教育困難校に勤めていた時、入試の採点をしていたとき考え方を問う問題では、さまざまな解答がありました。
進学校だったら模範解答ばかりだったのかもしれませんが・・・
こんな考え方もできるんだって数学科の教師がびっくりするような答えもありました。
そこから、もう一度、同じ答えの子がいないか採点のし直しをしたりしていました。
発想力が豊かだったりします。
ある意味、日本の教育に汚染されていない子なのかもしれません。
学校教育でも、塾でも「自分で考えて行動できる人」になるように教育してきました。
これが意外とできない子が多いです。
母親の言うままって子が多いです。
たぶん、どうしたいかを聞くんじゃなくて「こうしなさい」って言われて、「うん」しか言ってこなかったのだと思います。
家だけでなく、学校でも先生の言うままで、考える機会がなかったのだと思います。
「考えなくてもいい教育」は、指導する方にとっては都合がいいからです。
それに対して、「考えることができる子」「質問する子」は、指導者にとってはやりにくい相手です。
親子関係でもそうです。
そういう私も、大学生まではそうでした。
私の場合は、祖母に言われるままって感じでした。
考える必要もなく、言われたとおりに行動していました。
でも、中学3年生ぐらいから少しずつ、自分で考えて行動することも増えていきましたが、それまでは自分の意志なんてありませんでした。
結局、親や教師にとって都合の悪い子を「発達障がい」として教育するようになってしまいましたが・・・
言われたとおりに動く、はみ出さないように教育されていくわけです。
コロナ禍で教育の成果を発揮しました。
上から言われた通り、疑うことなく従う人たちが出来上がっていたのです。
世界中が茶番に気付いても、日本人はいつまでも言われるままコロナ禍のまま過ごしています。
一部のおかしいと疑問に思って行動している人は、「おかしな人」というレッテルを貼って・・・
みんな一緒だからって思っていたら「ハーメルンの笛吹き男」のお話のようになるかもしれませんね。
ついていった先は・・・!?
自分の意志で動いている人たちは、自分1人でも行動できる人たちが多いようですね。
「ワクチン未接種者」や「マスクなし」の人たちは、何が違うのか?
ちゃんと調べて、自分で考えて行動している人。
まわりの人がどうとか、テレビや新聞で・・・と行動していない人です。
「子どもに聞いても返事しない、意見を言わない」という悩みをよく聞きます。
それは、自分がやってきた教育の成果です。
仕事をしていて忙しかったからとか、いろんな言い訳があるかもしれませんが。
子どもの意見を聞いてこなかったから、考えさせてこなかったから。
でも、そのままできないわけではありません。
返事がないから無視しているわけでもなく、考えているのです。
たいていは、どう言ったら正解なんだろう!
母は(父は)なんて言ってほしいのだろう?と正解がなにか考えています。
返事をこう言ったらどう言われるか?
こっちにしたら・・・
と正解を求めて考えているのです。
で、考えているうちに、また親が話し出して・・・
たしかに一方的に話した方が楽です。
それは、子どものためではなく、自分のためです。
私も子どもの頃、いろんな答えをシミレーションしているうちに、相手が話し出したり、打ち切られてしまったり・・・
何がこわくてだまっているかというと、間違ったらどうしよう!という恐怖からです。
間違ったことを言ったら、また怒られるかも?と過去の経験からそうなってしまったり、何でも親や教師の言われるままに行動してきたから、自分の意見を聞かれると言えない・・・
学校でも塾でも、自分で行動するまで何も言わず待っていたら、どの子も自分で考えて行動できる子になっていきました。
「返事のない子」「反応のない子」は、自分たちが今までやってきた結果です。
すぐに結果を求めがちですが、答えがでるまで待ってあげれば必ず行動します。
あせって、同じことを繰り返さないことです。