2018年3月11日
人生の転機は、不意にやってきます。
病気や怪我で入院した場合、学習保障はどのようになっていますか?
各都道府県で対応は違います。
平成9年4月 滋賀県は全国初となる病弱教育巡回訪問指導員派遣事業を始めました。
この制度は、滋賀県内の病院の中で、養護学校、院内学級の設置されていない病院で入院する子どもたちに教員を派遣するという事業です。
私は、この事業に初年度から関わることとなりました。
学校で勤めることに抵抗を感じ、教員を辞めようと決意した時に転機がやってきました。
病院で教員を続けることができたのです。
(1)教員3年目、非常勤講師になりました。
採用試験に受かるためにと言われて、2つの中学校で非常勤講師となりました。
空いた時間、県立女性センターの図書室で勉強していました。
採用試験の勉強をしつつ、教育に関する本もたくさん読みました。
そんな本のなかに、教員は大学まで学校で過ごし、卒業後も学校で勤め、学校以外の世界を知らずに子どもの進路指導をしているとありました。
そんな人が本当の進路指導ができるのか?というものでした。
それもそうだなあと思い、教育と違うところも見てみたいなあと思うようになりました。
非常勤講師は、新規採用された先生の研修時間の後補充という仕事でした。
採用試験で、同じ試験を受けた先生と一緒に仕事をしました。
ここで初めて学級崩壊をみました。
ちょうどその新規採用の先生の授業崩壊でした。
そして、非常勤になると、2校で3人の先生から不倫をせまられました。
立場が弱いので、ことわったら学校にいられなくなるよと脅してきた先生もいました。
3回とも、管理職に相談し、不利な立場においこまれることはありませんでした。
周りの先生方の助けもあり、無事に1年間、講師をすることができました。
当時は、穏便に管理職が知っているだけで、大事にはされなかったので、3人とも校長になっています。
そんな感じなので、最近は、問題を起こす管理職、教員がどんどん増えているのだと思います。
最近は、管理職が隠しても、隠蔽できなくなってきています。
そんなこともあり、学校で働くのを辞めようと思いました。
学校の非常勤講師だけでは稼ぎが少ないので、夜は会社で伝票入力の仕事をしていたので、企業で働くのもいいかなあと思い、学校以外の世界をみてみようと思いました。
(2)教員を辞める決意をしたら
そんなとき、滋賀県教育委員会から電話がかかってきました。
全国初の病院に教員を派遣する制度ができるので、やってみませんかというものでした。
学校で働くことを辞めようと決めたら、学校外で教員ができるというお話をいただき、仕事をさせていただくこととなりました。
これが、自分にとっては大きな転機であり、いい経験をさせていただきました。
そして、学校では出会えない多くの先生、保護者、生徒、病院関係者との出会いがありました。
自分の人生観が大きく変わりました。
いろんな世界の表と裏をみることもできました。
病弱教育訪問指導員をするきっかけは、教員からセクハラを受けるというマイナスの出来事でした。
でも、そのおかげで、自分にとって有意義な時間を過ごせました。
そして、生きるということを考える時間でもありました。
健康について、病気について調べたり、考えたりする中で、今の仕事につながっていると思います。