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2018年3月1日

私の転機2大学時代

  高校生までは、体も弱く、病院では、お箸より重いものを持たせるとケガをすると言われたりしながら、大事に育てられてきました。

 親の言うとおりに生きてきた私でしたが、高校2年生から親の意に反し、進学を希望するようにまりました。

 進学校ではなかったので、大学進学は無理と思われていて、合格したら大学に進学してもいいと言われて、高校の先生方の力で進学をしました。

 

 体力のない私が、片道3時間かけて大学に通いました。

 大学1年の夏、父が勝手におばに頼んで決めたアルバイトに無理矢理連れて行かれました。

 

 運動の苦手な私が、プールの受付で働くことになりました。

 県立のプールで、おばも働いているので、父は安心してバイトをさせました。

 

 これが私の転機となりました。

 行ってみると、体育会系の監視員のなかに、受付は2人だけで、昼食時の休憩は、監視員の男性が10人近くいるなかで、1人で休憩をとらなければいけなくて、しかもほっといてはくれないので、大変でした。

 

 運動は苦手だと思っていたのですが、テニス、ボーリング、水泳など、いろいろとイベントがあり、参加しているうちに、意外とのみ込みが早いと言われ、何をやってもうまくなったので、すっかりスポーツ好きになりました。

 

 あなたは運動できない、どんくさいんだからと育てられてきて、すっかり運動音痴と思い込んでいたのですが、なんだできるじゃないかと思いました。

 

 夏休みだけのバイトと思って行ってましたが、アスレチックとグランドゴルフの受付でも働けることとなりました。

 

 監視員の方たちと仲良くなり、バイトが終わったあとも遊ぶようになり、男性のなかに女1人が普通になりました。

 

 夏休み前に、大学生活も通学が大変だし、友達ともうまくやっていく自信がなく、辞めようと親にも言っていました。

 学費を払った分は行くように言われ、1年だけと思っていたのですが、友人が変わったことで、自分が変わることができました。

 

 往復6時間近くかけて大学に通いながら、夜は塾や家庭教師のバイト、土日は受付のバイトをして、休みなく、フルで動くようになりました。

 体が弱かったのがうそのように、元気に活動するようになりました。

 

 大学の友人も変わりました。

 前期で、すでにグループはわかれていたのですが、1人で違うグループにうつりました。

 今までは、おとなしくて目立たない友人が多かったです。

 何をきっかけに変わったのかは覚えていないのですが、クラスの中で中心にいるような、今までだったら敬遠していたグループに入りました。

 いちばんの理由は、ノートを貸してくれないから、ここにいてはダメだと思ったことです。

 グループを変わり、女子だけの環境から男子が多い環境に変わって、楽になりました。

 

 4年間、いろんな意味で、友人たちにサポートしてもらい、何とか大学を卒業することができました。

 

 サークルには入っていなかったのですが、大学の後半は、きっかけはスキーでしたが、水泳部の人たちの中で、スキー、ゴルフ、ボーリング、ビリヤード、モトクロス、キャンプなど、いろんなことを教えてもらいました。

 とくに、スキーはみんなインストラクターだったので、贅沢に1人で3人のインストラクターに教えてもらいながら練習してました。

 4年間、プールのバイトも続けていたので、地元の友人もプール関係の友人ばかりになりました。

 

 

 父親の意図したこととは違いましたが、大きく人生が変わりました。

 思いっきり、箱入り娘の箱を蹴破ってしましました。

 

 卒業後、中学校で常勤講師をしていました。

 その頃の友人は、岐阜や愛知だったので、週末スキーに行って、月曜日の朝に戻って、そのまま仕事に行くこともありました。

 

 

 自分の経験から、親のことばで洗脳されていることってあるんだと思います。

 できないと思っていることが、実は得意なこともあるのです。

 20年以上、教育の現場で感じることは、子どもたちは勉強できないと言われ続けてできないと思い込んでいるだけで、その洗脳を解けば実はできるということ。

 

 20歳ぐらいから、とにかく動き回って、家でゆっくりすることなく、難行苦行の人生になっていきました。

 

 25歳ぐらいから、ダブルワーク、トリプルワーク・・・とにかく隙間時間をうめて働くようになりました。