2018年4月15日
無難に生きる。
難なく生きれた方がいいのではないか?と思う人がほとんどかもしれません。
何事もなく、平凡に生きたいと願っているのかもしれません。
ずっと何もなく生きられた方が幸せなのかもしれません。
しかし、何もなくということはないと思います。
気になりつつも、自分は幸せなんだと自分に言い聞かせて生きている人は多いと思います。
人と比べて、自分はどうか?
うまくいっている人を妬んだり、足をひっぱたりしながら生きている人も多いです。
常に、自分と誰かを比べたり、世間の価値観と比べて、これでいいんだと思って生きている。
親からふつうの幸せを求められ、結婚して、家を建てて、子どもが生まれて・・・
団塊の世代は、この幸せ像が当たり前で、高度経済成長のなかで達成することはできたかもしれません。
年功序列、終身雇用が保障され、退職金、年金など恵まれてきた世代です。
当たり前のように子どもにも、この幸せを求めています。
いう通りに生きていくと、年齢とともに給料がアップすることもなく、終身雇用はなくなり、こんなはずではなかったという人も多いのではないでしょうか?
ふつうのことを求められているだけなのに、ふつうが難しい世の中です。
私たちは、成人してから、このふつうを嫌って生きてきました。
年功序列、終身雇用の時代は終わると、根拠なく思っていました。
中学校までは同級生でしたが、それ以後、35歳まで接点もなく生きてきたのに、同じことを考えていたことに驚きました。
就職して、会社に守られて生きることを拒んできました。
12年前、再会した当初、同じ考えに驚き、お互いの両親にも理解してもらえませんでした。
あれから12年が経ち、世の中は変わりました。
何の根拠もなく、誰かに言われたわけではなく、感じていた通りに世の中が動いているという感じがします。
そして、この12年で学んだことは、難があるから自分たちは変わってこれたし、変化を楽しむことができると思うのです。
もっとこうしたい、こうなりたいと思えるのだと。
不満足なこと、不自由だと感じることがあるから、人間は進化し続けるのだと思うようになりました。
相談に来られる方が、何でこんな大変なことが起こるのか?と言われます。
悪いことだと思うかもしれないけれど、ピンチはチャンスなのです。
自分の気持ちをごまかして幸せなふりをして、言いたいことも言えずに苦しんでいる人は多いと思います。
でも、その我慢は、まわりの人にも我慢させます。
そして、その我慢が限界に来た時、大病を患ったり、事件を起こしたり、殺人事件になったり、大難となってあらわれるのです。
小難が起こった時、その難と向き合い、自分を変えることができれば、そこから人生は大きく変わります。
これからの世の中、もっと大難が起こることでしょう。
いい人なのに大病を患って、いい人なのに事件の被害者に、いい人なのに災害に巻き込まれて、いい人なのに人を殺めた・・・ということが起こってきます。
大変なことが起きたから相談に来られている人に、よくお話しするのが「よかったじゃないですか」ということです。
何を言うのか?と最初は驚かれますが、最後には、笑顔で帰っていかれます。
自分の気持ちがスッキリすれば、解決に向かっていきます。
自分の思いが変われば、すべては変わっていくのです。
不安、恐怖、心配事を吐くだけで、人生は大きく変わるのです。
問題が起きないように無難に生きていると、こうなったらいやだなあと、人から悪く思われたらいやだなあと思ってしまいます。
自分の頭の中には、不安、恐怖、心配事でいっぱいになってしまいます。
自分の頭の中にある思いが、現実をつくりだしているだけなのです。
いらない思いを捨て、なりたい自分をイメージしていけば、その通りのことが起こるだけなのです。