2018年10月29日
はじめましてなちゅらるばらんすです。
ブログ訪問ありがとうございます。
親切の押し売りって多くないでしょうか?
やっている方は良かれと思ってやっているのですが、ありがた迷惑だったりすることも多いと思います。
迷惑でなくても、迷惑に感じてしまったりします。
私も実は、親切の押し売りをよくしていました。
こんなに思っているのに・・・
ということが多かったです。
親切の押し売りをやめて、ほしいと言われるまで待つことにしました。
ほしいと言われたら、それに応えられる自分になるように。
見守ることにしました。
大人も子どもも同じです。
求めて行動した方が、うまくいくのです。
なちゅらるばらんすを始めた頃、私たちは2人とも親切の押し売りをしていました。
良かれと思ってやっていました。
施術に来たお客さんや塾生に、ケーキを出していました。
迷惑に思っていた人もいるかもしれません。
逆に、もてなせばもてなすほど、横柄な態度になっていくお客さんが増えたりしました。
来てやってるんだから・・・みたいな人もいて、どんどん要求が増えて、最後には、代金を支払ってくれなくなったり。
そんな経験もあり、親切の押し売りをやめました。
ほしいと言わない人に、何もしないことにしました。
これは、教育でも生かすことができました。
子どもが伸びるのは、自分でほしいと言ったときです。
口をあけて待っているだけでは、何も得るものがありません。
自分で求めるまで待つということをするようになって、成績も伸びます。
過保護すぎて自分で考えることができない子が多いです。
聞くことができれば、吸収もはやいのです。
子どもに対しても、大人に対しても、押し売りをやめました。
求められるまで待ちます。
私たちは、体の痛みを感じるので、最初の頃は、そろそろ来た方がいいよと言っていました。
言われたから来たときと、自分から来たときでは、効果が違います。
こちらから言わなくなりました。
いろいろと家庭内の問題も多かったとき、月に1回ぐらいのペースで来られていました。
それが、毎週来られるようになり、メールや電話も頻繁にかけてこられました。
すると、ダメだと思っていた家族の問題が解決し、いいことばかり続きました。
よくなったので、自然とペースが月1~2回になりました。
結局、慢心すると、良好だった家族の問題が急に悪くなってしまいました。
幸せそうにしていると、人の妬みが憑くので、悪くなるんですよね。
そういうときは、行こうと思うけど行けない事情ができるそうです。
逆に、今日はどんなことがあっても行く!と思っていると、来れたと言っています。
行けたら行きたいなあと思っているときと、行くと決めた時で違うそうです。
良くなられたら困る人がいるんですよね。
自分のまわりにいる人は、たいてい足をひっぱろうとしています。
残念ながら、仲のいい友達ほど、厄介だったりします。
自分の中にある不安、恐怖、心配事で、足をひっぱられるのです。
思いのなかですが。
なぜ、不安、恐怖、心配事を吐くのがいいのか?
吐き捨てて、自分の頭の中から追い出してしまえば、悪い想念と同調しなくなるからです。
この方は、10年前に親友だと言ってた人とは、自然と離れたそうです。
人は、自分と同じぐらいの人と行動します。
そして、自分より幸せにならないか見張っているのです。
自分を変えずに、人の足を引っ張ろうとするのです。
この方も、最初は、自分のいるコミュニティでうまくやっていかないと生きていけないとおっしゃってました。
でも、自分が変わると、こんな人たちと一緒にいるのは嫌だと思い始めます。
そして、新しいコミュニティを作っていきます。
還暦を過ぎてからですが、変わっていきました。
親切の押し売りをしている教師が多いです。
ほとんどかもしれません。
この押し売りに悩む子どもが多いです。
口を開けて待っているだけならまだましです。
口の中に食べ物を押し込まれている感じです。
出さない方が、引いている方が、求めてくるのです。
やんちゃな子も、おとなしい子も。
何の反応もせず、心のシャッターを閉めている子も。
シャッターを開ける瞬間があります。
最初は、目で訴えてきます。
そのうち、自分から手を挙げて、求めてくるようになります。
教師だけでなく、親も同じです。
塾や支援員をしていたときに、親子面談をすると、子どもに質問してもすべて親が答えて、子どもはポカンとしている。
自分で考えなくても、すべて親が答えてくれる。
私もそんな感じで育ったので、よくわかります。
自分で何かしなくても、言わなくても、誰かが何とかしてくれる。
言われるままに動いていればよかったし、楽でした。
大人になっても、そのままの人多いですよね。
私たちは、自分と関わる人は、みんな幸せになってほしいと思っています。
それが、親切の押し売りでした。
あるとき、気が付きました。
まわりの人たちを幸せにしたければ、まずは自分たちが幸せでないとできないのだと。
そこから、自分の満足を追求することをやっています。
自己犠牲では、人を幸せにはできないのです。
教員生活最後の年、生徒から言われたことがあります。
「先生は、教師という仕事が楽しそうやな。
他の先生と違うな」
多くの生徒から言われました。
「楽しいよ」
と言うと、
「楽しそうやし、僕も先生になる」
と言う子がたくさんいました。
教師になるという目標をもって、大学に進学した子がたくさんいました。
この思いが、広がっていけばいいなあと思っています。
渡したバトンをリレーしていってくれると思います。
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